※この記事はころんの気持ちを思いのままに書いた日記のようなものです。読んで不快感を覚える方が一定数いると思われます。決して良い感情を抱ける文章ではないので、ころんの本当の気持ちを知ってみたいというコアな方だけお読み頂くようにお願いします。ネガティブな言葉もあります。十分にお気をつけてください。
今日はバレンタインデー。私の大好きな日の1つだ。堂々と誰かにプレゼントを出来る日だから。けれど今年のバレンタインデーは全くもって祝えるような日ではなかった。
朝、駅に向かう道をゆっくりと歩く。
本当だったら今日は討伐会を開催するつもりだった。宣伝用の動画も作っていたし、プレゼントだって用意していた。
本当だったらギルメンにも義理チョコ代わりのプレゼントをするつもりだった。
本当だったらどこかに共闘の助っ人に行くための投稿をするつもりだった。
本当だったら今日はいい1日だったはずだ。
いや、本当だったら昨日だっていい1日だったはずだ。
けれど昨日ある出来事が起きた。傷ついた私はゲーム関係の予定を全て取りやめた。
宣伝用の動画は私が初めて有料で作ったものだった。被害などと言う気はないけれど、初作品がゴミ箱に行くのは心が痛かった。
一体私が何をしたと言うのだろう。
沈んだ気分のせいか歩みが遅い。冷たい空気を溜め息という形でめいっぱい堪能したら、向かいからお犬様が現れた。
お犬様。嫌味ではなく、この道では犬は私よりも立場が上だと思う。堂々と狭い道のど真ん中を闊歩する姿が近付いてくると、私はいつも道の端に避けて立って見送る。
以前大事な仕事前にスカートを泥で汚されてユニクロに駆け込んだ経験から、そうするようになった。
もちろん飼い主とお犬様に不快感を与えないように、普段避ける時はお犬様の方に嫌味のない微笑みを浮かべるのも忘れないように心掛けている。
避ければいいじゃないか。いつもの事じゃないか。お腹の底が重い。何かが沈殿している。怒りか、恨みか、悲しみか。足が止まらない。避ける心の余裕もないのか。
このまま行けばお犬様にぶつかる。また溜め息が漏れる。急ブレーキのように不自然に両足を止めた。お犬様や犬好きの誰かと争う勇気など私は持ち合わせていない。
そもそも私は犬好きだ。いつかハイジに出てくるあの大きな犬を飼いたい。
早く端に寄らなかったせいで私に興味を示したお犬様が寄ってくる。
飼い主は回避行動を取る訳でもなく、注意もせず、お犬様を私の目の前で止まらせた。その顔は私にはどや顔のように見える。
屈んで適当に撫でて、「かわいいね。かまってくれてありがとう。」と言うと、お犬様と飼い主は満足そうに去っていく。
何も知らないくせに。何で私がいつも端っこにいるのか考えようともしないくせに。と思う自分をまた嫌いになる。
私がお犬様を撫でるシーンは、きっと朝の幸せそうなワンシーンに見えるのだろう。
撫でさせてやる優しい飼い主と、無邪気な犬、仕事前の触れ合いでほんの一瞬癒された女性。分かりやすい構図だ。
私はいつも構図に本当の気持ちを隠す。振る舞いが絵になるように、可能な限り自分を俯瞰から見るように心掛けている。
ころんちゃんならこう言うだろう、こう思うだろう。こうするだろう。こうあるべきだろう。
少しでもその期待を裏切れば、腹黒いという評価がついて回るのだから。少し隙を見せれば、味方の顔をしていた人があっさりと攻撃に転ずるのだから。
もしも私がここで一言「邪魔」などとお犬様に言おうものなら、ご近所さんの中で私は確実に悪者になる。
私のレビューは、私の言動をキャラクターとして見た人達の総合評価で出来ている。腹中に何を抱えているかなど何の価値も無い話だし、むしろマイナス要素でしか無い。
感情に共感や同情を示してくれる仲間はいても、代わりに問題解決をしてくれる人はいない。傷の回復は自力でするものだ。自分の機嫌は自分で取るべきだ。
本当にそうだろうか。自己責任論が過ぎやしないか。
夜になり、耐えきれず相方に吐露する。そうして相方は寝不足になる。
これは私が悪いんだろう。また自分を少し嫌いになる。
過去一で酷いバレンタインデーだった。
そして私を傷つけた当人は知らぬ顔で日常を送っている。謝罪の1つも無い。理不尽だ。
傷つけた?本当に?
勝手に傷つくやわな神経が悪いんじゃないのか。一体いつまで引きずるつもりだ。これじゃ思うツボだ。
何度も同じ手を食らっているのは間の抜けた話だ。
相手に悪気は無い。私は人生で聞き飽きるほどそのセリフを聞かされてきた。今回の一件でもその前にも聞かされた。
羨ましい話だ。そういった人達の中では、悪気が無ければ無条件に許されるべきらしい。私はその大義名分が大嫌いだ。
お犬様だって飼い主だって悪気は無いだろう。私にだって無い。
全ての文章は誰かに読まれるために書かれるらしい。今日私がこの文章を書いているという事は、つまりそういうことだ。
もしこの先思いとどまって公表しなくとも、私自身が書きながら今読んでいる。自分の中の本当の自分が、普段決して絵描かれる事のない不器用で聞き分けのない子供のような自分が、隅の方に蹲って泣いているのが私には分かる。その私のために今書いている。
昔、あるギルドメンバーが言った。
「失礼ですが、私にはころんさんがか弱い小さな子供のように見えます」と。
あの時も確か何か理不尽な問題が起きて私は対応に追われていた。多くの人が毅然と対応する私に怖いだのさすがだだのと言ってくれていたが、私には彼女の言葉が1番刺さった。そう、実際私はこれ以上私が傷つく事を防ぐために怒っているだけだったのだから。
誰のために何のために発言するのか。
私はよくそれを考えている。
私は人が幸せになるために、傷を癒やすために、和ますために、問題を無くすために、優しい世界を作るために、そういう事のためだけに言葉を使いたいと心底願っている。
SNSやブログ、YouTubeに、ネガティブな事は極力書かないようにしている。
ころんちゃんを見たら癒やされると、安心すると言ってもらえるようになりたい。
そうあるために私はもっと強く優しくならないといけない。だから、本来この文章は封印するべきだ。
だが、そうはしない。これは本来送れるはずだった幸せなバレンタインデーが失われた事への明確な抗議だ。悪意と捉えてもらっても一向に構わない。
私の中の私のためだけに書いたこの恨み言を最後に、私は回復する。
作りかけの新しい動画の続きに取り掛かる。好きな人達を笑顔にするために時間を使う。
綺麗な言葉を使い、穏やかな道を選ぶ。誰かの幸せを願い、いつでも微笑んでいる自分を取り戻すつもりでいる。
今日のブログを読んでがっかりした方はごめんなさい。また腹黒だとこきおろされる覚悟はあります。けれどここは、ころんのこころというブログ。今日だけは私のために本当のこころを載せることを許してください。
私には悪気が無いのだから。と言った者勝ちの大嫌いな言葉を免罪符として最後に書いておきます。